大阪高等裁判所 昭和48年(う)1690号 判決 1974年6月26日
主文
原判決を破棄する。
被告人は無罪。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人末沢誠之作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。
控訴趣意第一、事実誤認の主張について、
論旨は、原判決は、被告人に対し、本件交差点進入に際し、徐行して左右道路の安全を確認すべき注意義務があるのに、これを怠り、左右の安全を確認することなく、時速約三〇キロメートルで前記交差点に進入した過失ありと認定したが、被告人は本件交差点進入に際し、時速約八キロメートルないし一〇キロメートルで進入し徐行していたものであり、原判決には判決に影響を及ぼす明らかな事実誤認があるというのである。
そこで、一件記録を精査して検討してみるのに、原判決挙示の証拠を総合すれば、優に原判示のとおり、被告人が本件交差点進入に際し、時速三〇キロメートルで進入し、徐行しなかつた事実を認めることができるのであつて、事実誤認はない。
すなわち、被告人は本件事故直後の取調べにおいて、司法警察員に対し、本件交差点進入時に時速約三〇キロメートルであつたことを供述し、右の供述は、被告人車(タクシー)の乗客三名の被告人車が減速、徐行の様子がなかつたとの供述や、本件事故の相手車の運転者友村の、被告人車は時速四〇キロメートル位の速度でブレーキもかけていなかつたとの供述とも合致するのであつて、右の各供述調書の任意性、信用性について弁護人の種々主張する点は理由がなく、これを認めることができないし、また被告人の当公廷における供述も措信することができない。論旨は理由がない。
控訴趣意第二、本件につき、信頼の原則を適用すべきであるとの主張について。
論旨は、かりに被告人車が本件交差点に時速三〇キロメートルで進入したとしても、これと交差する右方道路から進入する相手車は、一時停止の標識があるにもかゝわらず、交差点手前で一時停車をせず、かつ左右の安全確認もしないで、時速約三五キロメートルで交差点に進入したものであり、被告人車の進行する東西の道路は、相手方車の進行する南北の道路に対し、幹線道路に当る本件交差点付近の道路状況からいつても、被告人車としては、相手方車が交差点直前において、停止線手前で一時停車のうえ、左右の安全確認をして交差点に進入することを期待して運転すれば足り、右規制に反して進入する車両のあることまで予測して運転する義務はないというのである。
そこで、当審における事実取調の結果を参酌して本件交差点付近の道路状況について検討するに、本件交差点(大阪市南区大宝寺町中之町四〇番地先)は御堂筋に面するそごう百貨店と大丸百貨店との間を東に入り、心斎橋筋の次の交差点に当り、御堂筋から入る被告人車の道路(幅員約一、四米の歩道の設けがあり、車道の幅員約五、二米)は東行一方通行であり、これと交差する相手方車の道路(歩道の設けがなく、幅員約六米)は北行一方通行で、交差点の南手前付近に一時停止の道路標識および停止線の道路標示ならびにその旨の表示された非道交法上の標識(ラバコン)がある。そして、その周辺一帯の大阪市南区内の(東)堺筋、(西)御堂筋、(南)宗右衛門通、(北)長堀駐車場通に囲まれた碁盤目状の道路については、幹線道路の堺筋が北行一方通行、同御堂筋が南行一方通行であるのに対応して、右両幹線道路をつなぐ東西の道路と宗右衛門町通から長堀駐車場通に至る南北の道路ともそれぞれ一方通行の交通規制が行なわれ、かつ両幹線道路をつなぐ東西の道路の交通を円滑にするため、右交差点(交差点間の間隔約七〇米)には心斎橋筋を除き一時停止の規制がなく、これと交差する南北の道路の各交差点には、信号機の設置されている交差点を除き、すべて一時停止の交通規制がなされており、このような交通規制は既に久しい以前から行なわれていることが認められる。
しかしながら、東西道路の方を優先道路に指定しているものではないから、本のような交通整理の行なわれていないかつ右の見とおしのきかない交差点においては、双方の道路に明らかな広狭の差がないので、南北道路の方に一時停止の標識があつても、これと交差する東西道路を進行する車両に徐行義務は免除されないものと解すべきであり、従つて被告人が本件交差点で徐行しなかつたことは道路交通法四二条に違反するものというべきであるが、右の道路交通法違反があるからといつて直ちに被告人に業務上の過失が成立するかどうかについては、前記のような本件交差点付近の道路状況のもとにおいてはさらに検討してみなければならない。
本件交差点およびその周辺の道路(前述判文参照)について、前記のような交通規制が久しい以前から行なわれ、一般の運転者に周知されていると推測されるような道路状況のもとにおいては、東西道路を進行する車両の運転者としては、特段の事情がない限り、南北道路を進行して来る現認できない車両は、交差点の手前で一時停止するものと信頼して運転すれば足り、それ以上に、あえて交通法規に違反して一時停止をすることなく、とくに減速もしないで交差点に進入して来る車両のありうることまで予想した周到な安全確認をすべき業務上注意義務を負うものでなく、当時被告人が道路交通法四二条所定の徐行義務を怠つたとしても、それはこのことに影響を及ぼさないと解するのが相当である。
そうでなくして若し東西の道路を進行する車は特段の事情がなくても南北の道路を進行する車のために交差点毎(間隔約七〇米毎)で徐行しなければならないとすれば、東西の道路の車の進行を円滑にするため、南北の道路に一時停止の規制を設けた目的に副わないものと思われる。
これを本件についてみると、被告人は原判示の日時(午前零時五五分ころ)御堂筋から入つて、そごうと大丸との間を本件の東西の道路(東行一方通行)に入り、時速約四〇キロメートルで東進し、本件交差点手前で時速約三〇キロメートルに減速して右方南北の道路(北行一方通行)の交差点入口をみたところ、相手車の姿も見えなかつたので、そのまゝ進入したところ、相手車は交差点で一時停止をせず、時速約三五キロメートルで進入してきて被告人車と衝突したもので、当時の制限速度は東西道路、南北道路とも、毎時四〇キロメートルであつたことが認められ、被告人としては、本件交差点に進入に際し、徐行はしていないけれども、減速のうえ、右方道路の停止線付近に交差点に入ろうとする車両等が存在しないことを確めて交差点に進入したのであるから、相手車のように、敢えて交通法規に違反して、一時停止もせず、交差点に進入しようとする車両のありうることまで予想して周到な安全確認をなすべき注意義務はないものと解するのが相当である。
原判決は、相手車に原判示のような過失があることを認めたうえで、被告人にも原判示のような過失のあることを認め、過失競合の場合として、相手方車の運転手友村嘉昭が罰金三万円に処せられたのに対し、被告人を罰金五千円に処しているのであるが、被告人の徐行義務違反をもつて直に被告人の過失といえないことは前述の通りであるから、被告人に原判示のような過失を認めた原判決は法令の解釈を誤まり、被告事件が罪とならないのに有罪としたものというべく、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであり、原判決は破棄を免れない、論旨は理由がある。
よつて、刑事訴訟法三九七条、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書によりさらに次のとおり判決する。
本件公訴事実は「被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和四七年六月一七日午前〇時五五分ころ、普通乗用自動車を運転し、大阪市南区大宝寺町中之丁四〇番地先の交通整理の行なわれていない交差点を西から東に向かい直進するにあたり、前記交差点の左右の見とおしが困難であつたから、一時停止または徐行して左右道路の交通の安全を確認すべき注意義務があるのに、これを怠り、左右の安全を確認することなく、時速約三〇粁で進入した過失により、右方道路から(交差点手前で一時停止をせず、かつ左右安全の確認もしないで時速約三五粁で=原判決認定=)同交差点に侵入してきた友村嘉昭(当時三七才)運転の普通乗用自動車に自車左側部を衝突させて、同人に加療約一週間を要する頭頂部打撲傷の傷害を、自車同乗者小島国広(当時三二才)に加療約一週間を要する頭部打撲傷の傷害を、同小島定枝(当時三二才)に加療約一週間を要する右側頭部打撲傷の傷害を、同西岡早苗(当時二七才)に加療約一週間を要する頭部打撲傷の傷害をそれぞれ負わせたものである」というのであるが、前記説示のとおり被告事件は罪とならないことになるから、刑事訴訟法四〇四条、三三六条により無罪の言渡をすることゝし、主文のとおり判決する。
(本間末吉 西田篤行 吉田治正)